工場内

HISTORY 歴史

ドローン空撮

設立由来

ここ四倉町の海岸は、かつてはセメントの原料となる良質の砂が多量に採取され、 また、この地で住友大阪セメントの前身である磐城セメント四倉工場が操業されていました。 そうした地元の利点に着目した初代社長江口忠一は、大正10年、セメント瓦の製造を計画。 ただちに実弟を中国山東省青島より呼び寄せ、中国人技術者を招へいすると共に、製造用機器を輸入し 、 現在のいわき市四倉町本町地内にて個人企業という形で縦型セメント瓦の製造を開始しました。 このセメント瓦製造業は、当時東北地方では珍しく、品質への高い評価とあいまって急成長、大正 11年、万年瓦工業株式会社を創設しました。 続いて青森県八戸に関連工場を設立、需要は東北一円へ、その後、関東大震災の復興屋根資材 に使用された当社製品は、"低廉量産"の大衆性からか、関東地方でも大好評を博しました。 さらに、在来型の和型をとりいれるなどしながら改良を重ねた製品が、 戦後の復興事業で大いに 使用されたことで、"セメント瓦の産地・四倉"の名も全国的に知られるようになりました。 やがて時代の変化やセメント二次製品製造の多角化に伴い、昭和36年からは万年コンクリート工 業株式会社と商号を改め、以来コンクリート製品の総合メーカーとして邁進しています。 今後も、なお一層の生産性の向上に取り組むと共に、技術研鑽・品質改良を通し、地域社会のよ り良い環境づくりに貢献できる高品質な製品をつくり続けます。